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マグロジュースのブログ

ボカロ、UTAUの音楽の話や、創作の話などをする時はすると思いますが、しない時はしないと思います。

前世記憶関連でご理解頂きたい事

多くの人がブログを閲覧し、Twitterの方もフォローして下さっているので一応現時点での自分の認識、見解を簡単に伝えます。

分からない事は、肯定もしないし、否定もしない。というのが自分の考えです。

確定的な資料が後天的に発見されない限り、自分の言ったものを100%立証する事は叶いません。 現時点で史実通りなら「調べたんだ」となるし 史実と異なれば「嘘だ」となるし 曖昧でも詳しく話しても「想像だ」となります。また、見る人により異なる解釈で受け取られる事も多々あるので、それによって混乱したくないしさせたくもありません。

自分がハッキリ覚えていて世の中に出ていない、つまり立証ができそうなのは、火事で亡くなった初恋の人、奥さんの性格や手紙の内容、一番近しかった女官(尼さん)の事、性空さんの教えの内容 くらいでしょうか…。 

また、世の中にはいろんな信仰や考え方が存在し、輪廻転生を肯定していない文化もあります。否定的な考えも十分に理解できます。多様な考え方を尊重しているし、形はそれぞれでもみんなが有意義に良い人生を送れるならそれで良いです、その形こそがベストだと思っています。
特定の考えを押し通す必要性を感じません。スピリチュアル的な考え方に囚われる気もありません。知らない様々な文化や考え方を調べて、学んで知っていくことが自分の生きがいです。

ただ、これがどこかの誰かにとって、世の中にとって、前向きな方向に活かされてくれたら良いな、という淡い期待で動いています。

必要だと思った事や、良い影響になると思った事は言う、思わない事は言いません。それだけです。

バズる前もバズった後も変わりはありません。今まで通り過ごします。
自由に、恥ずかしくない生き方をするだけです。


--追記--
メールやリプライで頂いた内容は読んでいます、励ましの言葉等頂きありがとうございます、とても嬉しくなります。
質問も多く頂いていますが
返信、発進をしたことが正確に伝わらない、誤解を招くといった状況を避けたいという事
分からない、ハッキリしない、言うべきでない、言いたくないと思う内容もあるという事
この件に無関係のフォロワーさんや、否定的、批判的な人達への心的配慮
中庸な考え方を保ちたいという事
その他諸事情から安易に返信、発進出来ない事をご了承下さい。同時にお詫び致します。
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平安時代にお坊さんをやっていた記憶があるという話について 変わった所変わらない所

今までの感じとちょっと変えて、メンタルの部分を話したいと思います。2つの人間の記憶があるってどうなんだ、同じ人格の奴が違う環境に生まれるとどうなんだっていう部分です。一応、過去の自分の名前を知っている人が見る前提で話します。求めてるのと違うかもしれませんが、こちらも緩い感じで聞いて貰えればなと思います。


変わった所

昔:質問厨
分からない事は何でも納得するまで聞きまくってた、知りたい事を中々知れないもどかしい感情があった。知る事が出来たとしても口頭で伝えられるだけで実際に確かめられない、不安でまた質問して嫌がられる。頭が悪いって思われてるらしいけど全然そんな事ないですから。知識欲半端じゃ無かったですよ。

今:無口
分からない事は何でも自分で調べられます、世界中でどんな文化があって、歴史があって、人や生き物が居て…という感じでのあらゆる情報が納得するまで得られます。人に聞く必要が無いので楽チン、喋んなくて良い。知識欲満たせて素晴らしい。ネット最高。



昔:周りに人がいっぱい居た
人員が変わるとこはあったけど、生涯を通して周りに人が大勢居てわいわいしていた。旅も大勢。多くの人と心を通わせるのは楽しいけれど自分を見失ったり調子に乗って失敗をする事があるので一概に良いわけではないし、多くの人に迷惑をかけたので後悔もかなり多い。何でも人にしてもらっていたし、自分が何かするたびに、誰かしらに迷惑がかかるのでそれがとても嫌だった。

今:一人の時間が多い
誰にも迷惑かけないしストレスも少ないので感情が落ち着くし、誰にも邪魔されず自分の好きな事を好きな時間に出来るのは素晴らしい。旅も一人旅。人が多い空間に行くと感情的にちょっとおかしくなるので逆に避けてる、自分の事は全部自分でやるので慎重な性格になった。でも寂しいかもしれない、昔あった『家族のように心の距離が近い他人』という概念が今は無いのでそれが寂しい。



昔:女好きって言われてた
これは育ちのせい。前も言いましたけど心を許せるのが女性達であって、囲まれて育ったので人格形成に影響してます。それから子供や捨て子が物凄い数居たという話をしましたが今よりずっと性愛は自由でした。同性愛や年の差愛も浸透していたし今みたいにガチガチに固定観念で固められてないです。愛の形は時と場合で様々。恥ずかしいからもうやめようこれは…
良いよね、他の生まれ変わり自称の人たちは偉大で。こっちは黒歴史まで引き継いでんだよ。恥ずかしいよ、嫌だよ普通に。

今:そんな事は全く無い
昔自分が性愛に求めていたものは、肉体的よりかは精神的な癒しだったんですよね。ボロボロになった感情を糊で塞いでくれるような物なんです。だから現代で必要無いです。人と人との結びつきが弱いし、自分の精神状態も安定してるので。
そして痩せてる人苦手なのに痩せた女子ばっかりだし一人で居る事が多いので逆に人より欲が無いです。面倒くさいとかくだらないって思ってしまう。同性も異性も人間として同じように見ます、当たり前だけど。これは成長と言うんでしょうか、分かりませんけれども。



昔:スピリチュアル的な考え方だった
オカルトなんていう区分けは無くて当たり前に受け入れられていてたし、自分の中にも第六感的な物があったし(後天的に強くなった)それを持っている多くの人に出会ったので当時から前世や来世の概念を知覚していた。幽霊や精霊?を目視する事は無かったけれど、知覚(存在を感じる)事も普通にあった。全てひっくるめて自然の一部、当たり前の事としていた。
仏教は、知識欲に任せて学んだ気がするけれど、感覚的な物以外忘れました。ただ今のアフガニスタン(ガンダーラ)やチベットのあたりの話はうっすらと覚えがあって、思い入れがあった。行ってみたいと思っていた。

今:特定の思想に偏らないようにしている
昔と同じく第六感は強いけど、現実を生きる人たちにとって特別必要な物とは思わない。それは科学では解明されていない不確かな事だし、世界中にはいろんな信仰や考え方が存在するし、さらにそういう人たちと共存する必要があるし、またそれらの多様な考えから学びたいし、尊重したいし、各々が有意義に幸せに生きられればそれでいいと思うので。
でもチベット!チベットはやっぱり行ってみたい!そしてアフガニスタン共々今の現状をとても憂いています…。



変わらない所

顔、仕草、話し方
若干まつ毛や眉毛が濃いとか微妙な違いはありますけど変わらないか極めて似てます。
話し方はフワフワでボソボソなのでイライラするか眠くなるかのどっちかだと思います。


好きな物
お酒、動物、山、旅行、バイク(馬)、楽器、作詞作曲、同じです。
なぜ馬が、好きだったのか。それは当時世界で一番早い乗り物だったからです。風を感じたかったからです、あと馬の目が可愛かったからです。今のバイクも丸型の二つ目のライトに変えてるので目がかわいいです。


悪戯するのが好き(だった)

昔は色々仕掛けてました、記録も複数、複数確認致しました。でもあれは、無差別にやっている訳では無くてとても調子に乗っていたりとか、自分の悪い所に気付いていない人をターゲットにして、笑える悪戯をしようという試みでした。当時の笑いのツボなんです、あれは。本気で陥れたいと思っている訳では決して無くて、お前はこれくらいバカバカしいレベルなんだぞっていう暗示をしたくて。ごめんね。いやそうじゃない時も、あったかしれない…ごめんね。

今はネトゲが全盛期だった頃に無意識に同じ事してました
悪戯専用のクラブとかギルドに所属して、時にギルドマスターとして狩場独占してる奴の邪魔したり、PKしたり、反応見て楽しんで仲間とスカイプでゲラゲラ笑ったり。メイプルストーリーとか超面白かったですよね、規約違反はしてないのでBANはされません、規約の範囲で大暴れするだけです。いつまでも居座ってたらいつのまにか某サーバー内で四天王と呼ばれて祭られてました。
ごめんね。本当にごめんね。もうしません。
ごめんなさい
ごめんなさい
ごめんなさい


ストレスメーターが上がると奇行が出る

自分と長く付き合いのある人なら分かると思いますけど、ストレスを感じるとすぐ変になります。空になったコップで何度も水飲もうとしたりとか、謎の絵を描いて来て講義室の隅に飾ったりとか、小学校の頃ですけど、授業中に抜け出して松林を走り回ったりとか。あげたらきりが無いのと恥ずかしいので雰囲気を察して頂ければと…。意図的にストレスを避けてます。危ないので。

奇行は続くよ、千年後も。


感受性、表現性

一緒です。これも雰囲気で察してください。
服装を変に拘るのも一緒です。その日の気分にあった自分らしい見た目じゃないと落ちつかない。そして今も昔も人に選んで貰わないしファッション誌も見ないので、たまに変な時がある。
創作は今の方が規模的にはだいぶショボいんですけど、感受性は意図的には絶対似せられない部分だと思います。悲しい時に作るとすっごく良いのができます。
あと縛られないで好きなようにっていうのも同じで、昔も上を目指したり、人によく見せる為に作るやり方じゃなくて内面を追求するようなやり方、あと全部勘。
共感覚もありました。ていうか昔の人は結構あった。


知識欲
これはあまり知られていないようですけど、旅しまくってた理由の一つでもあります。自分の知りたい事が知れない、見たい物が見れないという苦痛が嫌で、目で見て感じて確かめたいという気持ちから行動が生まれます。そこで貯めた知識を、自分の出来る限り活かしたいと考えてました。今も同じです。



上記問わず本質的な部分は全部一緒です。これはもう本当に似せようと思って出来るものではない。不思議な所です。

こんな感じですかね…

平安時代にお坊さんをやっていた記憶があるという話について 生涯の事を話します

物凄く悩みましたが具体的に検証できそうな部分も含めて言います。創作ではありません。本を出す予定はありません。今後どうなるかも分からないけど、良くも悪くも、役割なのかな、と思う事にして割り切ります。

子供の頃の記憶よりも更に薄い物を捻りだしていると思ってください。

できるだけ時系列にまとめますが前後するかもしれません。主観的に印象に残った事は覚えていますが全てを覚えている訳ではありません。地名人名分からないのは本当にすみません、浮かぶ場所や人は居ますが、今残っている名前の人かどうか分からない、当てはめる事が難しいです。質問は多すぎて消化できないので、こちら発進で話します。歴史にあるけど分からない事もあれば、歴史に無いけど覚えている事もあります。
具体的な事も感情的な事も抽象的な事もありのままに言います。その中で実際に検証する価値のある事柄があれば、調べて確認ほしいです。

名前はもう分かると思うけど…これから話すのは昔の自分の生涯での事です。

興味無ければスルーして下さい、興味あればお調べください。


幼少期~青年期(出家前)

悲しい事ばかりだった。とにかく悲しいなぁという感じです。自分の大切な人から死んでいく、自分も死にたかった。

1.幼少期のほとんどは女の人との記憶ばかりです。物心ついた頃から10代はずっと周りには女の人ばかりでした。女性が自分の身の回りの世話を全部してくれいた。自分で靴を履かなかった、靴を履かせてもらっていました。最も身近な人たちです、家族はうっすらしか覚えが無いけどこの人達はとても覚えています、何人も居ます、20人は居る。同年代か少し年上のお姉さんで、忙しいのに遊び相手にもなってくれます。
本当に何でもしてくれる人達、その時に世話をしてくれた人は生涯付き合いがありました。十二姫の墓に居るのはこの時の人たちで間違いありません。小さい頃男友達が居た記憶が全然なくって出てくるのはたくさんの女性です。家族であって恋人であって友達…今の感覚では分かんないと思います。すみません。

2.この時に出会った一番働き者の女の人。
同い年くらいで、顔や雰囲気は例えると…3Dアニメですけど、怪盗グルーに出てくる「マーゴ」っていう女の子をちょっと大人にした感じ。雰囲気はそっくり(眼鏡はかけてないけど)何でも相談に乗ってくれる人で自分がストレスでおかしくなるのも全部分かってました。年を経るごとに性的な事をするようになった(膝枕をしてもらったり、ハグをしたり、泣きついて慰めてもらったり)いい大人になってもこの人に甘えていた。何でも受け入れて、一緒に泣いてくれたり、共感してくれる凄い人です。
この人は自分が出家をした後に、兵庫県の菩提寺まで追いかけて来ました。
彼女には家族が居てお母さんの具合が悪いという話を聞いていたんですけど、自分が勝手に京都を脱出して逃げ回っていたせいでこの人は病気のお母さんを置いて自分の所に来なければいけなくなった。物凄く悪い事をしてしまって、ずっと後悔していました。自分のせいで二度と家族に会えなくしてしまいました。自分が京都に戻った時もこの人は現地に留まりました。

自分が死んだのは京都説と、菩提寺説がありますが、京都です。

でも菩提寺が自分の本当の居場所です。墓所があそこにあるのと、その墓所の方向を向いて奥さんと女官のお墓があるのはきっと、それを周りの人たちが汲んでくれたからだと思います。
菩提寺でこの人を看取ってから死のうと思っていたけれど、置き去りにしたまま京都で勝手に死んでしまいました。死んだ時に一番心残りだったのはこの人です。自分の事を一番に考えてくれていた人に、一番の迷惑をかけてしまった事が心残りでした。あの菩提寺にあるお墓は何よりも大切です、お寺より大切です。ずっと守ってくれて本当にありがとうございます。
この場を借りて最大限の感謝を伝えたいです。本当にありがとうございます。

3.奇行?をしていた理由は何か
半分は計算で、半分はマジです。周りの人達(主に男性たち)は自分の家族や娘を本当に、道具みたいにして使うので、それがどうしても許せなくて、自分がそんな風にコントロールされたくなかったので物凄く抵抗しました。誰にも心の内を読まれてはいけないんだっていう物凄いストレスと、疑いの気持ちがあったからです。どんなに抵抗しても彼らはやってる事の虚しさに気が付く事が無かった、それが物凄く悔しかった、だからエスカレートしました。特にお父さんに対して彼らはひどい事をしていた…気がする。中々思い出せないけど、お父さんに何するんだ!!糞野郎ども!!っていう強い気持ちがあった。お父さんは凄く良い人。男性はみんな私の事を馬鹿にしていたけど、せっかく生まれて来た子供や巡り合った家族や友達を、何のためらいもなく、欲のままに道具として使おうとするお前らが馬鹿なんだ、自分は馬鹿じゃない!!っていう気持ち。だから自分で自分がおかしいとは全く思っていません。おかしいのは周りの奴ら。
それと単純に、誰も注意してくれないから気付かない。あとで知って恥ずかしくなるんです。いっつもいっつも。

4.女癖が悪いと言われていたのは何でか
上にも書きましたけど、心を許せるのが物心ついた頃から女の人達だったという事、逆に男性は心を許せなかったという事です。身勝手で申し訳ないです。でもそうして心を保つしか方法が無かった。申し訳ない。チャラくはないです。不安に押しつぶされそうだったんです。

5.10才前後に、この子と結婚したい…思っていた仲の良い女の子の友達が居ました。赤い服が好きです、初恋の人です。庭の隅っこみたいな所で遊びました、健康的というか庶民的な人です、でも住んでいた家が火事になって亡くなりました。その年代に火事はありませんでしたか?私と関わりのある女の子とその家族が亡くなりました。
最愛の人を亡くしましたが、初恋の人も亡くしてます。

6.その時によく食べていた、好な食べ物なんですが、ヨーグルトです。何言ってるか分かんないかもしれませんがヨーグルトがありました。名前は違うかもしれないけど乳製品で同じ味がするものです。酸っぱさは同じぐらいで今の物よりも香ばしいやつ。食感は、ぬるいフローズンヨーグルトのような…?それが好きでした。私がヨーグルトみたいな食べ物を好きだった事が分かるものってありますか?

7.この頃の性格ですけど、めっちゃ質問厨でした。気になる事はひたすら質問攻めにします、納得するまでやめません。ウザがられていた。唯一それが良い方向に動いたのは奥さんとの手紙のやり取りで質問攻めにした事です。彼女の心がそれによって開きました。

8.その頃の雑多な記憶です。住んでた場所は分かりませんが、そこから外に逃走する事がありました、スキを見て逃げるプロです。結構逃走しますが女の子と遊んでいる時は落ち着いています。。動物が大好きでした、周りの人がいろんな動物を見せてくれます。基本動物を見ると興奮するというか好きなんです、虫や草花も好きです。猫を飼っていたか、お気に入りの猫がいました。その猫も自分と同じでヨーグルトが好き、ヨーグルトをめっちゃ食べる頭の良さそうな猫が居ました。

9.楽器を多く弾いていました、琵琶と横笛は間違いなくやってます。夜やります。一回やると全然やめません、自分で言うのもあれですがめっちゃ上手かったはず。とても自信があった。ぶっちゃけ誰よりもうまい自信があった、師匠クラスと言っても過言ではないです。
ミッチーは自分の100分の1も楽器出来ません。でもディスっても全然めげないから凄い、ディスりが効かなくて煽り耐性が半端じゃないです。ドライに考える人だから傷ついたりしないのかな、でも色々言っても心のずーーーーーーーーーっと奥深くの奥の奥の方には情があって結局助けてくれる人。自分に無い物がこの人に全部あって、自分にあるものがこの人に全部無い。嫌々だけど結局切っても切れない関係。

10.奥さんと同時期か少し前に好きだった女の人、位の高い人だけどタカビーで性格が男っぽくてキツい。会うとまんざらでもないくせに軽く叩いたり蹴ったりしてくる、自己中で途中から嫌いになったけど、何だかんだ魅力的な人。顔は「ベック」っていう韓国人のモデルさんに似てるけど目が細くて内側がつっていて外側がたれてる。ツリタレ目。体格は普通。太ってない。

11.奥さん、藤原忯子の事です。
書店で見かけた(今世の)小説に、勝ち気で男勝りなイメージで書かれてたみたいなんですけどすみません全く違います。何も出来ない人で、走った事が無いとか自分で服を選んだことが無いというレベルの人。平安時代が生んだ操り人形みたいな、道具にされていた人。動きがスローペースで、ぽへーーって感じの人。
彼女は祭事?催し物みたいのが大の苦手でとても具合が悪くなります。精神的なものです。だから祭事的なのは欠席していた筈です、なぜかは自分でもよく分からないらしいです。

奥さんに出会う前は、他の誰かを思いやるなんて事は1ミリも無くて自分以外の人間は木の棒か何かだと思っていました。この人に出会って目が覚めた。この人に出会ってはじめて、他人の気持ちを考える、思いやる気持ちが芽生えました。そういう人です。

結前に手紙を何通もやりとりしています。自分が先に出して、奥さんから返事がきます、奥さんから先に出す事は無いです。内容が「趣味は何ですか、好きな物は、知りたい事は、悩みはある?」という質問攻め→奥さんからの回答は、ほぼ「自分が何をしたいか、何が好きなのか分からない」そして以前書きましたが「精いっぱい愛しますから、世の中の色んな事を教えますから、恋人になって下さい」と自分から手紙で申し出たもの。それから恋の詞?和歌もポエムくらいフランクな柔らかいのもあった、大切にとっておいたので残っているかもしれません。あ、もしかしたら奥さんは「桃色が好き」って書いてくれていたかもしれません。無趣味な人でしたが詩を書く事はあります。恋の詞を書き合っています。

結婚した理由は、彼女の、道具にされたまま終わる人生があまりに可哀想だったから。自分が本当の愛情を教えてあげたい、いろんな話をして、彼女に個性を持ってもらいたい。いつか自分のやりたい事や好きな事を見つけてもらいたいと思ったからです。

無個性だった彼女は急に性的な快楽を覚えたし、自分も愛情が半端なく強かったのでお互いにセックス依存症みたいになりました。
結婚後、寝る時なんですが今度は逆に奥さんから来ます。肌と肌を触れ合って寝ます。共依存関係で、お互いに一緒に居ないと眠れないので必然的に毎日一緒に寝ます。人生で一番幸せだった時ですね。くっつきすぎて時々離れろと周りに言われ、そのたびにモメました。自分は離れたくないと言って怒られていた。彼女も離れたくないといって怒られていた。お互いに永遠に離れたくなかった。自分も彼女も泣き虫で、泣いた。一心同体でした。

奥さんのお父さんの事をちょっと覚えてます。典型的な瓜実顔でメタボな人。ぬぼーーってしてて滅多に話さない、超無口。何考えてるか全く分からない。多分私の事が嫌いだったからそうだったのかもしれません。この人の趣味?かな。建物や看板?を立てるのが好きな人だけど結局何がしたいのかよく分からない。

奥さんがなくなってから、山に行くまでの細かい記憶が全然ありません。その間はまるで死んでるみたいです。色々書かれてるけど全然覚えてないです。ただ一つ言えるのは全体を通して、とにかく悲しかった。悲しいなぁっていう出家前時代です。色々あったけど最後には怒りも恨みも無い。「悲しい」以外のあらゆる感情がありません。

愛する人も守れないのに、他の誰かを幸せにできる訳がない、こんな地位があっても何の意味も無い。自分も死にたいと毎日のように言っていた気がします。
そして散々抵抗したけれど、結局自分自身も道具にされて、要らなくなって、捨てられた。それだけの話です。


お坊さんになってから(出家後)

こっからが人生の本番って感じ、こっちの方がいっぱい覚えてます。心の赴くままに大冒険しました、こんなに世界広かったんかー!って。最初の頃は死に場所見つけに行くつもりだったんですけど何年もする内にどんどんわいわい騒がしくなって、面白くなっていきました。癒されました。

12.最初の旅立ち?はとても寂しい、虚しい雰囲気で付いてくる人もほとんど居なくてスカスカ。いつ襲われてもおかしくない、とにかく寂しかったです。しかもどんどん脱落していって、自分も気力無かったし、泣き言しか言ってない。その内自分が死んでこれが終わるんだろうなあ、早く終わればいいのにと思っていました。
その頃(出家してから前半の、旅をしている道中)だと思うんですが途中で大豪雨があったはずです。とんでもない大雨で、そうですね…もののけ姫のシーンで嵐の中牛の行列が歩いているシーンがあるなじゃいですか、途中で山犬に襲われるやつ。あんな感じです、いやもっと酷かったかも。
その後に風邪を引きました。その時に、ああここで死ぬんだ。ここで死にたかった、良かった。人生さようなら~と思いました。

ただ何か普通に治って、普通に続いちゃいましたね。

13.今まで見た中で一番大規模なお寺
調べたけど場所。名前は分からない、太い柱がたくさんあって稚児パラダイスのお寺。大量の稚児、道案内役?お迎えに出て来たのも稚児。もう消滅した文化だと思いますが、お寺といえば稚児でした。
いろんな格好の子がいて、髪をリボン結び?にしているかリボンを巻いていたり、服に丸いポンポンみたいのを付けていたりする。みんなおしゃれに見えます、おしゃれは稚児がするもの。お坊さんはおしゃれしないから基本的に。

女人が居ない所で可愛い稚児達が、みんなガッツリ履物の裾をまくって、生脚出して仕事をします…


そらそうなりますわな。


今で言ったら虐待扱いかもしれないけど、当時はそれで成り立っていました。これは、お互いに愛情があったからこそ繋がっていた関係だと思います。親元離れて(もしくは捨てられて)仕事をする稚児の寂しさ、世俗を捨てて女の人と合えないお坊さんの寂しさ。それが恋愛感情としてつながる瞬間があります。少なくとも自分はそうだった。家族のようで友人のようで恋人のようで子供のようで…うんまあとにかく愛です。

今のオネェ系の人達ってきっと子供の頃とても違和感があったと思うんですよ。自分の好みがガチムチの男だったとしてもそんな事を言えないから自分を演じて生きてたと、思うんですよ。
でも、寺の稚児だったらすぐにガチムチ僧兵とウフフな関係になれます。とても尊ばれます。幸せになれます。

14.奥さんはぽっちゃり系だったけれど死ぬ間際はガリガリで直視できなかった。その時のトラウマがずっと続いて痩せている人を見ると気持ち悪くなったり、物凄く不安になりました。今だにあります。僧籍時代の稚児にはできるだけ沢山食べさせて痩せないようにしていました。ちょっと無理してでも食べさせていた。自分の周りにいる稚児はみんなぽっちゃりしてます。最初の頃は痩せていても少しずつぽっちゃりしてきます。それは、痩せないで!太って!って言っていたから。近くにいた稚児の顔、濱田龍臣くんの小さい頃の容姿を太らせたみないな感じ、ただもっと色白で全体的に色素が薄め、髪の毛も茶色っぽかったような。。
そんな感じの記録無いですかね?あってほしい…

あと稚児が木の実とかで花とかで装飾品を手作りして作ってくれます。嬉しくてそういう物を自分は身に着けていました。

15.その頃に見たの日本のイメージ
地平線の向こうまでどこまでもどこまでも果てしなく山が続いている、山の国って感じ。解放感が半端じゃないです。しかも今の錆びれた雰囲気と違って山には沢山人が住んでいた。
山の上から見た光景、朝になると山裾や川から雲が沢山わいてきて海のようになります。その雲海の上に住んでいるのが私たち山のお坊さん勢、その下に住むのが里の一般ピーポーです。
雲が沸いてくるのと同時に、里に子供か、今の中高生くらいの年の若い人たちが沸いてきて仕事を始めます。山の上からでも声が聞こえてきます。。

道の途中に石切り場?がありませんでしたか?川沿いです、石や岩がたくさんあって雰囲気は今の土木作業員みたいな感じの雰囲気です。崖の岩肌を削る感じじゃなくて、ごろごろしてる大きな石を手ごろなサイズで持ち帰る?感じ。汚れてない綺麗な服をきた「役所の人」的な人が4~5人居て仕切っています。

それから、蕎麦掻についてですが、「そばがき」って名前じゃないかもしれませんが普通にありましたよ同じ味のやつ。里は知りません。今の物と全く同じじゃないかもしれないですけど、山の方で食べられているはずです、そのだし汁?みたいのもあります。それが山時代に好きだった食べ物です、山芋は子供達が勝手に大量に取ってきて、焚火をして山芋パーティーしてました。里の思い出より山の思い出の方が圧倒的に多いです。

里の方は…竹? 竹パラダイス。竹を一生懸命掻き分けて家を建ててる。竹で何でも作る、里の人は本当にあらゆるものを竹で作れる。万物は竹から生まれたんじゃないかってくらいに。今でいうプラスチックかもしれない。3Dプリンターくらい万能。

16.途中のデカい寺で知り合ってずっとついてきていた僧兵の人
野性爆弾のくっきーにそっくりな人。笑わせ方のマインドもくっきーにそっくりで、もしかして本人なんじゃないかという位そっくり。ガタイが良くてヤンキーっぽいけど道中ふざけてくれるからとても明るくなる。この人は京都に戻る時も一緒についてきてくれた人。

17.この頃の旅のフォーメーションとか、雰囲気とか。
まず中心が自分として、最側近は稚児。次いで普通の服装のお坊さんが少し、次いでたくさんの僧兵、次いで山伏系の人とか適当についてきた人がいっぱい、後半になるにつれてどんどん増えてってフォーメーション崩れて収集つかなくなったけど楽しければええやろ的な感じでやってた。自分は杖をついて歩いていた覚えがある。輿に乗っていたかもしれないけど、多分途中から下りてる。錫杖っていう奴だと思うんですけど、しゃらしゃらなる奴を鳴らして、他の人たちもそんな感じで高周波を響かせながら旅をする。
この時に誰かが持っていた、熊の毛皮を鞘みたいにぐるぐる巻きにした短刀がめっちゃかっこよくて、いいな~って思ってた。多分魔除け?にしていたんだと思う。山に入る人って魔除けに短刀を持っていきませんでしたか?毛皮巻きました?

18.熊野周辺(だと思う)
山伏&お坊さんパラダイス。もちろん稚児も居るよ。大きな滝の周辺はすごい賑わい、ディズニーランドちゃうかってくらいの賑わい。いろんな人種がいて、ここで出会って京都までついてきた人が沢山います。山伏の人たちは僧兵とまた雰囲気が違って、ちょっとスピリチュアル系?な感じでいつも気が張っている。
雰囲気を一発で例えるなら…

ダチョウ倶楽部の寺門ジモンさん

19.藤岡弘みたいな雰囲気の念力を使うお坊さん
多分「性空」という人です。どういう人かというと、人の心を一撃で読む人です。悲しんでた時に、人の心を読む術みたいのをめっちゃ教えてくれた人。平安の藤岡弘。
立場的に言えば平安のマスターヨーダ。 
今は消滅したようですし、ファンタジーですが昔はこんな感じの「第六感」を教える人が山にいっぱいいました。ありふれた感覚です。近いのは、ファンタジーになっちゃいますが…ジェダイの心を読む系のフォース、あるいはワンピースの心網。この人に教わりました。やり方を少し覚えています。

人間は想いを言葉にする前に、言葉にする以前の「気持ち」を外に発射するのでその気持ちを、研ぎ澄ませて受け取るように訓練できるよ。後ろに居ても言葉を発しなくても、相手が嘘をついていても考えてる事がある程度分かるよっていうものです。
自分は昔も今もですけど、第六感的な物はうっすらあってこういう事を覚えるのは早かった。
コントロールはできないけど未だに残ってます…この人のお陰だと思います。

これはその内科学的に解明されてほしい…

20.京都に帰る時
山で出会った大勢の人達を連れて帰りました。京都嫌いなのでなるべくなら帰りたくなかったんですけど、稚児が京都見たいとかお菓子的なやつを食べたいというので、まあいつかは帰るし、しょうがないかという気持ちで帰りました。でも自分は京都にトラウマを多く残しているので、京都に居る時はちょっと精神状態おかしくなります。山ではとても安定しています。



いっぱい書いて疲れました。まだまだ全部じゃないです、続き書くかも分からないのでとりあえずはこのへんで。ありがとうございました。

平安時代にお坊さんをやっていた記憶があるという話について 見え方感じ方 歴史的な核心について

お騒がせしてすみません。平安時代のユル~い感じの質問コーナーをユル~く継続する予定だったんですが、人によって色んな受け取り方をすると思います。自分の言動で、他人を安易に惑わせたくないのと、極力誤解が無いようにしたいので一旦置いていくつかの説明を書かせてください。


記憶の見え方感じ方について
当時の言葉や文字についてはほぼ分かりません。
古文を勉強して知っていても、覚えているという事ではないので。覚えてますとは言えません。どうしようもないです。
地名人名についても初めから分かってる事は稀で、分かればわざわざ文献とか場所を探して照らし合わせる必要が無いです。
記憶として思い出せるのは、その時の感覚的な物(綺麗、怖い、楽しい、恥ずかしい)とか風景とか人の顔が主です、これは歴史資料あるなしに関わらず。。なんでこうなのかは、本当に分かりません。だから脳の病気かもしれないので半信半疑で聞いてほしいです。
全部ひっくるめて完璧に分かるっていうイメージで広がって行ってしまったんですけど…超人とかスーパー霊能者ではないです、頭の中の謎な部分をtwitterで吐きだして朝消す予定だったのがとんでもないバズり方をしてしまっただけの人です。


歴史的な核心について
やんわりじゃなくて核心に迫ってほしいと思いますよね…そうですよね。
歴史的な核心に関わる部分については、いくつかあります。主に自分の身辺についての事で、歴史的に分かってない部分?です。
研究できると思います。
言いたいんですが…心の整理が出来てません。ゆかりのある方々に迷惑かかるかもしれない、重い部分なのでストレスがやばいです。そしてあまりに急なのと、一応こんな形でも思い出なので。ちょっと落ち着いて考えさせてほしいです。本当に必要だと思ったら真面目に言います。暫く時間を下さい。ごめんなさい。

平安時代にお坊さんをやっていた記憶があるという話についてTwitterでの質問と回答



はじめに
私の上記ツイートに興味を持って質問してくれた皆様、ありがとうございます。
普段はTwitterという深海の底でオオグソクムシのように引き籠ってマイナーな創作物を作っています。夜中たまーに前世記憶について言う事があったのですが、気味悪がられるしあまり話したくないので一通りスルーされた後に消すのがいつもの流れでした。今回もと思ってましたが何だか物凄い伸び方になりまして、底引き網で海上に引き上げられたような気持ちです。

何でもかんでも全て覚えているという訳ではないです。全く分からない、もしくはうすらとしか分からない事も多いです。こうなったのも何かの縁だと思うので、慎重に、話せる限りお話してみたいと思います。
全然信じてくれなくで大丈夫です。信じなくても普通に人生楽しく生きていけるので、底引き網で水揚げされたオオグソクムシを蒸し焼きで食べていると思って見てもらえたら有難いです。

ご注意
・宗教には入ってません 変な思想にも染まっていません オカルトやスピリチュアル系団体との繋がりも全くありません 今後そうなる気もありません ただの変な人です
・趣味で主にアジアの宗教学、人文学を勉強しているので平安時代の知識は普通にあります。ただなるべく歴史資料に無い部分を話そうと思います。
・自殺をミスってからと書きましたが、それ以前から家系的に勘が強かったり自分自身にも第六感的な物はちょっとありました。なので安易に自殺を考えたら覚醒するとか思わないでください。 
・頂いた質問全てには回答できません、もし回答が無いと立腹された場合はTLで私に煽り画像を送りつけても大丈夫です。

質問と回答
無作為に目にとまったものを選ばせて頂きました。少ないのでパート2を作る予定です。今回はあの世の事とか生まれ変わりについてというより、平安時代の事について回答します。

具体的な名前や生年月日や宗派を教えてほしいという質問が多かったんですが、言いたいです。言いたいんですけど…言ったらその人物がgoogle検索で出てきてしまいます。今現在ゆかりのある人たちに迷惑がかかったら怖いので想像するか各々で調べてみてください。つっても時間の問題かもしれないですけど…腹くくった方が良いのかな…うーん…
あと本当に脳の病気なだけかもしれませんので。ユルい気持ちで見て下さい。
それでは



山門のギリギリんとこまでみんなフザけてて入った瞬間から急にシャンとするやーつ!

ガキ使の笑ってはいけないシリーズで敷地入った瞬間から笑っちゃダメみたいな感じで…そこでひと悶着あったりするじゃないですか。あんな感じです。山法師の人達大好きだったんですけど面白い人多くて笑いのセンスは神がかってます、野性爆弾くっきーとか千鳥大悟とかバッドナイス常田さんみたいな人がいっぱい居ると思ってください。お坊さんの旅は粛々としてありがたみが深い物だと思われがちですが、道中暇だし子供や若い人が多いので結構ふざけてわいわいしてました。どこの出かも分からない人と、途中で出会って一行に加わったりもします。水曜どうでしょうをもっと大人数でやるような感じですかね、楽しいです。


はい、似てます。見た目は、肖像画が数枚残ってます。今の顔とほぼ変わりません。昔の名前明かすと怖いので各々で調べてほしいですが…私のTLにある自撮り写真と比べてみると、似てますよ。ただ今の体の方がまつ毛長くてスネ毛が濃いですねw人差し指をピーンと立てる癖があるんですが、肖像画の自分もガッツリ人差し指立ってて、あ、やっぱ俺やんってなりました。
性格もほぼ一緒です、が今のほうが幾分真面目です。昔は結構ふざけたり思い付きで行動する事が多くて周りに迷惑かけてました。そういう所で失敗して恥ずかしい思いしたり後悔が多かったので今は物凄く慎重で、目立ちたくないです。
能力も好き嫌いも一緒です。昔は色んな楽器弾いて 歌を詠んで 馬乗って 仏道極めて 旅してました…今はボカロで音楽作って ラップ作詞して バイク乗って 人文学研究して 旅してます、性的嗜好も同じです。想像ですけど遺伝子的に似てたり同じような性質の体にしか生まれてこれないんじゃないかって思います。
自分の詠んだ歌も残ってますが今も昔も、雰囲気がほぼ一緒です。個人的に、和歌や漢詩と日本語HIPHOPって妙に共通点を感じてしまいます。最小限のメロディーで押韻に合わせて日本語を綺麗に組み立てて歌う…同じ感覚で作ってますね。。


山芋と、そばです。今も昔も好きですが、山芋は薄く切って焚火で焼く、そばはこねた奴をちぎって汁物で食べるのが平安田舎流です。「そばがき」って奴です。そば粉こねてちぎって鍋の具にでも入れてみてください、もちもちして超うまいです、なんで消滅したんですかね…何で細ーく切っちゃったんですかね。あと伊藤園のそば茶の味が異様に懐かしく感じます。


言葉についての質問をとても頂いてるんですがごめんなさい、全然思い出せません。文献も忘れて?いて全然読めません。分かりにくいのが言葉や地名・人名。逆に分かりやすいのが人の顔や景色などです。
強いて言うなら、公家はめっちゃひそひそ話します。声がデカい奴は駄目みたいな暗黙ルールがあって鼻声でささやくようにしゃべります。この喋り方をする人が現代にいたら超じれったいですね。ハッキリ喋れよ!ってなりますね。


当時の女性についての質問も多かったですね、オカメ顔のぽっちゃり系がモテるのは本当です、今みたいに痩せている人が良いなんて感覚は1ミリもありません。真逆です。芸能人はみんな痩せているので中々難しいですね…浅田真央さん、剛力彩芽さん、を、太らせた感じです。皇族の秋篠宮姉妹のような丸顔も美人です。
平安女子はお菓子いっぱい食べても太るのを気にしなくて良いので食べるのが好きな人が多い。食欲あっても隠さなくてOKです。そんな事する意味が無いです。
今の女子は細い体になろうとして自分から飢餓状態を作ってるなじゃいですか、逆に現代の方が物凄い違和感があります。昔の人が飢餓を無くして健康に生きられる世の中目指して頑張って、ようやくその時代になったのに細くなろうとしてるなんて…とても複雑な心境です。


植物ですけど…瓜ですね。今は全くないですけどいろんなタイプの瓜です。草ボーボーのかやぶき屋根の上にも瓜が生えてたり。


朝が印象的です、私はいつも遅く起きます。働き手は子供が多いので子供がどたばた走り回る音で目が覚めます、みんな凄い働き者で起きる頃には支度が整ってます。服まで着せてくれます。お礼に服や京菓子を送ると見た事無い位目を輝かせて喜びます。
たまに京都から偉い人が様子を見に来ます、山の上に寺があるんですけど、下りてこいって言うんですよ。凄く嫌な感じです。山の下にいっぱい居る尼さんたちと相談して、登らせようぜって事になってメタボなおっさんを登山させていじめてました。すみません。


これはあまり言うと間接的に私が誰か分かってしまうので怖いんです…安倍晴明に会った事ありますかっていう質問も来たんですが…

はい…。彼はみんなの憧れです、彼は下手に出る人ですがじわじわ煽ってくるタイプのおじさんです。心の中ではコイツ面倒くさって思われてましたねきっと。でも優しいですよ、クライアントにはとても手厚い人ですので最後まで見放しません。母親が狐だと言われていますが彼の母は知りません。普通のおじさんです。顔は…思ってるようなイケメンではないです、くしゃっとしたおじさんです。くしゃおじです。
藤原道長もあります。政治家としてやり手だったのは間違いないですけど、ただ和歌とかオシャレのセンス全然無いです、多分人に選んでもらってますね。ださいなーと思ってましたごめんなさい。体裁の為に嗜んでいるので創作したり、オシャレをするという概念が無いっぽいですね、芸術家の感性ゼロです。仕事マンです。彼の歌がどれだけ残ってるかは分かりませんが、多分うーん…って感じだと思います。あの時代はもっと情緒にあふれた凄い歌人がいっぱいいます。


おお!これはとっても深い思い出があります。僧になってから西日本の山岳部を旅していたんですが、多分今の岐阜県のあたりの小高い山から飛騨山脈か立山連峰らしき山を見た記憶有るんです。
とても遠くからでしたが大きな山が壁のように向こう側を塞いでいて…あの向こうは外国で、行ったら生きて帰れないと言われてました。山法師や修験者はいろんな所を旅するのでネットワークみたいなのがあって情報が結構入るんですが、自分の仲間でも山脈の向こうに行った人は居なくて向こう側は話す言葉も見た目も文化も違う外国だというイメージです。北海道や青森あたりは、今で言ったらモンゴル人くらい違う人達です。平安時代にはすでに日本国として管轄下におかれていたみたいな話もありますが、多分形だけです、外国です。ていうか東北全域が外国みたいな空気です、あの壁みたいな山の向こうに行ってみたいと思ってたんですが、行けずに死にました。そして今は東側に生まれて逆側から立山連峰を見ています。感慨深い…
生口というのは…すみません分かりません。


色はカラフルですね。今観光地は色あせた建物が多いですけど昔はガッツリ色入ってカラフルです。朱色が中心で、屋根の内側とかが極彩色です。色の感覚的には原色という概念がなくて、今よりいっぱい色がある感じです。呼び名すみません、全く分からないです。が、空を見て、これは青じゃないんだけどなぁ…なんか、青だけど違う、、別の青っ…てなる時があります


恋愛結婚です。当時、恋愛結婚は憧れですね。自分が声をかけなければ奥さんは他の人と政略結婚してたと思います。 見た目は悠木碧と多部未華子を足して二で割ってぽっちゃりさせた感じかな…良い家柄に生まれて、 家族や付き人に言われるがまま食事も服も行き先も自分では何も決められない人で、何聞いても「分からない」って答える人形みたいな人でした。こんな可哀想な人見た事無くて、精いっぱい愛しますから、世の中の色んな事を教えますから、どうか答えて下さいと、何度も手紙をやりとりして、嫁に来てもらいました。手紙は死ぬまでとっておいたものが有るはずなのでどこかに残ってるかもしれません。 結婚してすぐに亡くなりました。それで僧籍になりました。


これは凄く話したかった、陰陽師は居ました。今はオカルト扱いですが平安時代は全然違います。陰陽師のお家芸の占星術は星の動きを数学的、科学的に考察して法則を見つけて駆使しようとしたものです。科学的でもあり、オカルト的でもありますよね。概念としては同一でした。これが科学でこれがオカルトだとい線引きする概念が当時はほぼ在りません。みんな同様に研究し、駆使する機関です。それが陰陽師。


これも話したかった。まず昔は人と人との心の距離が近かったです。今みたいに心の距離が離れた寂しい付き合い方をするのは宮中くらいで、友達や家族はちょっと風邪ひいたくらいでも死んじゃいますし一つの季節が終わるごとに誰かしら亡くなってます。だから今より情の結びつきは強いですねほんとに。今の自分はコニュ症なので人とあまり関わらず一人旅とかしてますが、昔は大勢周りに人が居て、旅する時もみんなでわいわい楽しくやってました。自分の性格より、社会が変わったのが大きいですね。今はちょっと寂しい時代だと思います。
ただ創作分野では現代ととても似ています。というか本質的に一緒です。BLの薄い本的なやつなんか平安時代大量に出回っていたので今も残ってるんゃないですか?ジャンルもいっぱいありましたよ、お坊さんですら読んでますよ。今のエロ同人誌と一緒です。




衆道に関しての質問多かったですね、もちろんありました。戦国時代は武士の間で流行ったらしいですが、自分の時代は寺です。現代の感覚で考えてほしくないですけど、お坊さんが居るエリアは女人禁制が普通です。出家する人達は様々な境遇で貴族もいれば物心ついた時から坊主の人も居れば、どっかから逃げてきた人、捨て子もいます。雑多な人種が大勢います。
見た目はお坊さんでも皆結局人間ですので性欲を捨てて生きるなんて出来ないです…大きな寺には髪の毛の生えた妙齢の女の子っぽい男子がいっぱい居て、僧の手伝いをして過ごします。お坊さんとは主と従者のような、家族のような、恋人のような不思議な感覚で結ばれてます。
ステージ?演台があってそこで踊ってくれたりします。踊れる稚児は今でいうアイドルです。いろんなお偉い方からお声がかかります。
宝石の国やとうらぶのような世界観が近い…かな。
あと、現代でオネエと呼ばれる人たちなんですが、昔は神の使いだってくらい尊ばれてました。彼(彼女)達は多くのお坊さんの心を癒す存在です。差別なんてとんでもない、芸術的なセンスも抜群で年をとっても舞踊を教えたり、文化に大きく貢献したんです。
現代でネタキャラ扱いされているのがちょっと悲しいですね。


居ました。でも若い頃は金持ちばかりに囲まれてたので見た事ありませんでした、実際に見たのは僧籍になってからです。
暑かったので夏かな、下山して平地にさしかかったあたりで見ました。
家族かなって思うんですけど、汚れなのか病気なのか全身が茶色く変色していて服を着ていなかったです、妖怪みたいなものに取りつかれているから絶対に近寄ってはいけないと言われました。凄い心苦しくなってしまって、こんな人たちが居るのに今まで自分は何をやって来たんだろうってひたすら後悔しました…奥さんの次に強烈な記憶です。


その他、多かった質問へ回答します


・平安時代の衛生状態はどうだったのか

これは里と山岳部で全然違います、京都はハッキリいって汚いです。汚い恰好の人も汚い犬もめっちゃいます、大河ドラマの清盛で不潔な都が出てましたけどあれは近いです。綺麗な人と汚い人の差が激しい。湯船に浸かるような風呂は入ってないですね、ていうか水汚いし。調べたら蒸し風呂らしいですけ蒸し風呂に入ってる記憶はありません、入ってるけど忘れてるのかな…トイレ事情も覚えてません…
山岳部の人は逆にとても清潔です、まず水が綺麗なのでちゃんと水で体洗いますし温泉とかも入ります。変な臭いとかしません。猿ですら綺麗です。
 
 
・記憶に残っている実在の場所と、現代の景色との違い

まず熊野です。多分熊野…であってると思うんですが、昔の那智滝のあたりは山法師&修験者のベースキャンプ的な所です。現代は写真でしか見た事なくて分からないですけど各地から大勢集まってきていて、情報交換するんです、あっちには何が有って、こっちに行くとこうなってて、って感じで。OKgoogleみたいに、OK山伏、〇〇に行きたいんだけどどうすればいい?景色の良い修行場とか無い?って聞くんです、そこで気の合う人とパーティー組んでクエストに出発するのが山岳修行です。少年の踊りの子が来たり、アイドルのライブみたいな感じ?イベントもたまにあって楽しい場所です。

田舎の風景についてなんですが今と全然違います。とにかく子供ばっかりです。畑仕事するのも外でわいわいしてるのも半分以上子供です。とても賑やかで人口も多く朝になるといっぱい子供が沸いてきます。
今は閑散としていて、中高年のおじさん達しか畑仕事してませんよね、寂しくなります。現代の田舎をバイクでツーリングしてると寂しい気持ちでいっぱいになります。


まだまだいっぱい質問も話せることもありますが、大変なのでここまでで… また書きますね、お読みいただきありがとうございました。

        
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