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マグロジュースのブログ

ボカロ、UTAUの音楽の話や、創作の話などをする時はすると思いますが、しない時はしないと思います。

平安時代にお坊さんをやっていた記憶があるという話について 生涯の事を話します

物凄く悩みましたが具体的に検証できそうな部分も含めて言います。創作ではありません。本を出す予定はありません。今後どうなるかも分からないけど、良くも悪くも、役割なのかな、と思う事にして割り切ります。

子供の頃の記憶よりも更に薄い物を捻りだしていると思ってください。

できるだけ時系列にまとめますが前後するかもしれません。主観的に印象に残った事は覚えていますが全てを覚えている訳ではありません。地名人名分からないのは本当にすみません、浮かぶ場所や人は居ますが、今残っている名前の人かどうか分からない、当てはめる事が難しいです。質問は多すぎて消化できないので、こちら発進で話します。歴史にあるけど分からない事もあれば、歴史に無いけど覚えている事もあります。
具体的な事も感情的な事も抽象的な事もありのままに言います。その中で実際に検証する価値のある事柄があれば、調べて確認ほしいです。

名前はもう分かると思うけど…これから話すのは昔の自分の生涯での事です。

興味無ければスルーして下さい、興味あればお調べください。


幼少期~青年期(出家前)

悲しい事ばかりだった。とにかく悲しいなぁという感じです。自分の大切な人から死んでいく、自分も死にたかった。

1.幼少期のほとんどは女の人との記憶ばかりです。物心ついた頃から10代はずっと周りには女の人ばかりでした。女性が自分の身の回りの世話を全部してくれいた。自分で靴を履かなかった、靴を履かせてもらっていました。最も身近な人たちです、家族はうっすらしか覚えが無いけどこの人達はとても覚えています、何人も居ます、20人は居る。同年代か少し年上のお姉さんで、忙しいのに遊び相手にもなってくれます。
本当に何でもしてくれる人達、その時に世話をしてくれた人は生涯付き合いがありました。十二姫の墓に居るのはこの時の人たちで間違いありません。小さい頃男友達が居た記憶が全然なくって出てくるのはたくさんの女性です。家族であって恋人であって友達…今の感覚では分かんないと思います。すみません。

2.この時に出会った一番働き者の女の人。
同い年くらいで、顔や雰囲気は例えると…3Dアニメですけど、怪盗グルーに出てくる「マーゴ」っていう女の子をちょっと大人にした感じ。雰囲気はそっくり(眼鏡はかけてないけど)何でも相談に乗ってくれる人で自分がストレスでおかしくなるのも全部分かってました。年を経るごとに性的な事をするようになった(膝枕をしてもらったり、ハグをしたり、泣きついて慰めてもらったり)いい大人になってもこの人に甘えていた。何でも受け入れて、一緒に泣いてくれたり、共感してくれる凄い人です。
この人は自分が出家をした後に、兵庫県の菩提寺まで追いかけて来ました。
彼女には家族が居てお母さんの具合が悪いという話を聞いていたんですけど、自分が勝手に京都を脱出して逃げ回っていたせいでこの人は病気のお母さんを置いて自分の所に来なければいけなくなった。物凄く悪い事をしてしまって、ずっと後悔していました。自分のせいで二度と家族に会えなくしてしまいました。自分が京都に戻った時もこの人は現地に留まりました。

自分が死んだのは京都説と、菩提寺説がありますが、京都です。

でも菩提寺が自分の本当の居場所です。墓所があそこにあるのと、その墓所の方向を向いて奥さんと女官のお墓があるのはきっと、それを周りの人たちが汲んでくれたからだと思います。
菩提寺でこの人を看取ってから死のうと思っていたけれど、置き去りにしたまま京都で勝手に死んでしまいました。死んだ時に一番心残りだったのはこの人です。自分の事を一番に考えてくれていた人に、一番の迷惑をかけてしまった事が心残りでした。あの菩提寺にあるお墓は何よりも大切です、お寺より大切です。ずっと守ってくれて本当にありがとうございます。
この場を借りて最大限の感謝を伝えたいです。本当にありがとうございます。

3.奇行?をしていた理由は何か
半分は計算で、半分はマジです。周りの人達(主に男性たち)は自分の家族や娘を本当に、道具みたいにして使うので、それがどうしても許せなくて、自分がそんな風にコントロールされたくなかったので物凄く抵抗しました。誰にも心の内を読まれてはいけないんだっていう物凄いストレスと、疑いの気持ちがあったからです。どんなに抵抗しても彼らはやってる事の虚しさに気が付く事が無かった、それが物凄く悔しかった、だからエスカレートしました。特にお父さんに対して彼らはひどい事をしていた…気がする。中々思い出せないけど、お父さんに何するんだ!!糞野郎ども!!っていう強い気持ちがあった。お父さんは凄く良い人。男性はみんな私の事を馬鹿にしていたけど、せっかく生まれて来た子供や巡り合った家族や友達を、何のためらいもなく、欲のままに道具として使おうとするお前らが馬鹿なんだ、自分は馬鹿じゃない!!っていう気持ち。だから自分で自分がおかしいとは全く思っていません。おかしいのは周りの奴ら。
それと単純に、誰も注意してくれないから気付かない。あとで知って恥ずかしくなるんです。いっつもいっつも。

4.女癖が悪いと言われていたのは何でか
上にも書きましたけど、心を許せるのが物心ついた頃から女の人達だったという事、逆に男性は心を許せなかったという事です。身勝手で申し訳ないです。でもそうして心を保つしか方法が無かった。申し訳ない。チャラくはないです。不安に押しつぶされそうだったんです。

5.10才前後に、この子と結婚したい…思っていた仲の良い女の子の友達が居ました。赤い服が好きです、初恋の人です。庭の隅っこみたいな所で遊びました、健康的というか庶民的な人です、でも住んでいた家が火事になって亡くなりました。その年代に火事はありませんでしたか?私と関わりのある女の子とその家族が亡くなりました。
最愛の人を亡くしましたが、初恋の人も亡くしてます。

6.その時によく食べていた、好な食べ物なんですが、ヨーグルトです。何言ってるか分かんないかもしれませんがヨーグルトがありました。名前は違うかもしれないけど乳製品で同じ味がするものです。酸っぱさは同じぐらいで今の物よりも香ばしいやつ。食感は、ぬるいフローズンヨーグルトのような…?それが好きでした。私がヨーグルトみたいな食べ物を好きだった事が分かるものってありますか?

7.この頃の性格ですけど、めっちゃ質問厨でした。気になる事はひたすら質問攻めにします、納得するまでやめません。ウザがられていた。唯一それが良い方向に動いたのは奥さんとの手紙のやり取りで質問攻めにした事です。彼女の心がそれによって開きました。

8.その頃の雑多な記憶です。住んでた場所は分かりませんが、そこから外に逃走する事がありました、スキを見て逃げるプロです。結構逃走しますが女の子と遊んでいる時は落ち着いています。。動物が大好きでした、周りの人がいろんな動物を見せてくれます。基本動物を見ると興奮するというか好きなんです、虫や草花も好きです。猫を飼っていたか、お気に入りの猫がいました。その猫も自分と同じでヨーグルトが好き、ヨーグルトをめっちゃ食べる頭の良さそうな猫が居ました。

9.楽器を多く弾いていました、琵琶と横笛は間違いなくやってます。夜やります。一回やると全然やめません、自分で言うのもあれですがめっちゃ上手かったはず。とても自信があった。ぶっちゃけ誰よりもうまい自信があった、師匠クラスと言っても過言ではないです。
ミッチーは自分の100分の1も楽器出来ません。でもディスっても全然めげないから凄い、ディスりが効かなくて煽り耐性が半端じゃないです。ドライに考える人だから傷ついたりしないのかな、でも色々言っても心のずーーーーーーーーーっと奥深くの奥の奥の方には情があって結局助けてくれる人。自分に無い物がこの人に全部あって、自分にあるものがこの人に全部無い。嫌々だけど結局切っても切れない関係。

10.奥さんと同時期か少し前に好きだった女の人、位の高い人だけどタカビーで性格が男っぽくてキツい。会うとまんざらでもないくせに軽く叩いたり蹴ったりしてくる、自己中で途中から嫌いになったけど、何だかんだ魅力的な人。顔は「ベック」っていう韓国人のモデルさんに似てるけど目が細くて内側がつっていて外側がたれてる。ツリタレ目。体格は普通。太ってない。

11.奥さん、藤原忯子の事です。
書店で見かけた(今世の)小説に、勝ち気で男勝りなイメージで書かれてたみたいなんですけどすみません全く違います。何も出来ない人で、走った事が無いとか自分で服を選んだことが無いというレベルの人。平安時代が生んだ操り人形みたいな、道具にされていた人。動きがスローペースで、ぽへーーって感じの人。
彼女は祭事?催し物みたいのが大の苦手でとても具合が悪くなります。精神的なものです。だから祭事的なのは欠席していた筈です、なぜかは自分でもよく分からないらしいです。

奥さんに出会う前は、他の誰かを思いやるなんて事は1ミリも無くて自分以外の人間は木の棒か何かだと思っていました。この人に出会って目が覚めた。この人に出会ってはじめて、他人の気持ちを考える、思いやる気持ちが芽生えました。そういう人です。

結前に手紙を何通もやりとりしています。自分が先に出して、奥さんから返事がきます、奥さんから先に出す事は無いです。内容が「趣味は何ですか、好きな物は、知りたい事は、悩みはある?」という質問攻め→奥さんからの回答は、ほぼ「自分が何をしたいか、何が好きなのか分からない」そして以前書きましたが「精いっぱい愛しますから、世の中の色んな事を教えますから、恋人になって下さい」と自分から手紙で申し出たもの。それから恋の詞?和歌もポエムくらいフランクな柔らかいのもあった、大切にとっておいたので残っているかもしれません。あ、もしかしたら奥さんは「桃色が好き」って書いてくれていたかもしれません。無趣味な人でしたが詩を書く事はあります。恋の詞を書き合っています。

結婚した理由は、彼女の、道具にされたまま終わる人生があまりに可哀想だったから。自分が本当の愛情を教えてあげたい、いろんな話をして、彼女に個性を持ってもらいたい。いつか自分のやりたい事や好きな事を見つけてもらいたいと思ったからです。

無個性だった彼女は急に性的な快楽を覚えたし、自分も愛情が半端なく強かったのでお互いにセックス依存症みたいになりました。
結婚後、寝る時なんですが今度は逆に奥さんから来ます。肌と肌を触れ合って寝ます。共依存関係で、お互いに一緒に居ないと眠れないので必然的に毎日一緒に寝ます。人生で一番幸せだった時ですね。くっつきすぎて時々離れろと周りに言われ、そのたびにモメました。自分は離れたくないと言って怒られていた。彼女も離れたくないといって怒られていた。お互いに永遠に離れたくなかった。自分も彼女も泣き虫で、泣いた。一心同体でした。

奥さんのお父さんの事をちょっと覚えてます。典型的な瓜実顔でメタボな人。ぬぼーーってしてて滅多に話さない、超無口。何考えてるか全く分からない。多分私の事が嫌いだったからそうだったのかもしれません。この人の趣味?かな。建物や看板?を立てるのが好きな人だけど結局何がしたいのかよく分からない。

奥さんがなくなってから、山に行くまでの細かい記憶が全然ありません。その間はまるで死んでるみたいです。色々書かれてるけど全然覚えてないです。ただ一つ言えるのは全体を通して、とにかく悲しかった。悲しいなぁっていう出家前時代です。色々あったけど最後には怒りも恨みも無い。「悲しい」以外のあらゆる感情がありません。

愛する人も守れないのに、他の誰かを幸せにできる訳がない、こんな地位があっても何の意味も無い。自分も死にたいと毎日のように言っていた気がします。
そして散々抵抗したけれど、結局自分自身も道具にされて、要らなくなって、捨てられた。それだけの話です。


お坊さんになってから(出家後)

こっからが人生の本番って感じ、こっちの方がいっぱい覚えてます。心の赴くままに大冒険しました、こんなに世界広かったんかー!って。最初の頃は死に場所見つけに行くつもりだったんですけど何年もする内にどんどんわいわい騒がしくなって、面白くなっていきました。癒されました。

12.最初の旅立ち?はとても寂しい、虚しい雰囲気で付いてくる人もほとんど居なくてスカスカ。いつ襲われてもおかしくない、とにかく寂しかったです。しかもどんどん脱落していって、自分も気力無かったし、泣き言しか言ってない。その内自分が死んでこれが終わるんだろうなあ、早く終わればいいのにと思っていました。
その頃(出家してから前半の、旅をしている道中)だと思うんですが途中で大豪雨があったはずです。とんでもない大雨で、そうですね…もののけ姫のシーンで嵐の中牛の行列が歩いているシーンがあるなじゃいですか、途中で山犬に襲われるやつ。あんな感じです、いやもっと酷かったかも。
その後に風邪を引きました。その時に、ああここで死ぬんだ。ここで死にたかった、良かった。人生さようなら~と思いました。

ただ何か普通に治って、普通に続いちゃいましたね。

13.今まで見た中で一番大規模なお寺
調べたけど場所。名前は分からない、太い柱がたくさんあって稚児パラダイスのお寺。大量の稚児、道案内役?お迎えに出て来たのも稚児。もう消滅した文化だと思いますが、お寺といえば稚児でした。
いろんな格好の子がいて、髪をリボン結び?にしているかリボンを巻いていたり、服に丸いポンポンみたいのを付けていたりする。みんなおしゃれに見えます、おしゃれは稚児がするもの。お坊さんはおしゃれしないから基本的に。

女人が居ない所で可愛い稚児達が、みんなガッツリ履物の裾をまくって、生脚出して仕事をします…


そらそうなりますわな。


今で言ったら虐待扱いかもしれないけど、当時はそれで成り立っていました。これは、お互いに愛情があったからこそ繋がっていた関係だと思います。親元離れて(もしくは捨てられて)仕事をする稚児の寂しさ、世俗を捨てて女の人と合えないお坊さんの寂しさ。それが恋愛感情としてつながる瞬間があります。少なくとも自分はそうだった。家族のようで友人のようで恋人のようで子供のようで…うんまあとにかく愛です。

今のオネェ系の人達ってきっと子供の頃とても違和感があったと思うんですよ。自分の好みがガチムチの男だったとしてもそんな事を言えないから自分を演じて生きてたと、思うんですよ。
でも、寺の稚児だったらすぐにガチムチ僧兵とウフフな関係になれます。とても尊ばれます。幸せになれます。

14.奥さんはぽっちゃり系だったけれど死ぬ間際はガリガリで直視できなかった。その時のトラウマがずっと続いて痩せている人を見ると気持ち悪くなったり、物凄く不安になりました。今だにあります。僧籍時代の稚児にはできるだけ沢山食べさせて痩せないようにしていました。ちょっと無理してでも食べさせていた。自分の周りにいる稚児はみんなぽっちゃりしてます。最初の頃は痩せていても少しずつぽっちゃりしてきます。それは、痩せないで!太って!って言っていたから。近くにいた稚児の顔、濱田龍臣くんの小さい頃の容姿を太らせたみないな感じ、ただもっと色白で全体的に色素が薄め、髪の毛も茶色っぽかったような。。
そんな感じの記録無いですかね?あってほしい…

あと稚児が木の実とかで花とかで装飾品を手作りして作ってくれます。嬉しくてそういう物を自分は身に着けていました。

15.その頃に見たの日本のイメージ
地平線の向こうまでどこまでもどこまでも果てしなく山が続いている、山の国って感じ。解放感が半端じゃないです。しかも今の錆びれた雰囲気と違って山には沢山人が住んでいた。
山の上から見た光景、朝になると山裾や川から雲が沢山わいてきて海のようになります。その雲海の上に住んでいるのが私たち山のお坊さん勢、その下に住むのが里の一般ピーポーです。
雲が沸いてくるのと同時に、里に子供か、今の中高生くらいの年の若い人たちが沸いてきて仕事を始めます。山の上からでも声が聞こえてきます。。

道の途中に石切り場?がありませんでしたか?川沿いです、石や岩がたくさんあって雰囲気は今の土木作業員みたいな感じの雰囲気です。崖の岩肌を削る感じじゃなくて、ごろごろしてる大きな石を手ごろなサイズで持ち帰る?感じ。汚れてない綺麗な服をきた「役所の人」的な人が4~5人居て仕切っています。

それから、蕎麦掻についてですが、「そばがき」って名前じゃないかもしれませんが普通にありましたよ同じ味のやつ。里は知りません。今の物と全く同じじゃないかもしれないですけど、山の方で食べられているはずです、そのだし汁?みたいのもあります。それが山時代に好きだった食べ物です、山芋は子供達が勝手に大量に取ってきて、焚火をして山芋パーティーしてました。里の思い出より山の思い出の方が圧倒的に多いです。

里の方は…竹? 竹パラダイス。竹を一生懸命掻き分けて家を建ててる。竹で何でも作る、里の人は本当にあらゆるものを竹で作れる。万物は竹から生まれたんじゃないかってくらいに。今でいうプラスチックかもしれない。3Dプリンターくらい万能。

16.途中のデカい寺で知り合ってずっとついてきていた僧兵の人
野性爆弾のくっきーにそっくりな人。笑わせ方のマインドもくっきーにそっくりで、もしかして本人なんじゃないかという位そっくり。ガタイが良くてヤンキーっぽいけど道中ふざけてくれるからとても明るくなる。この人は京都に戻る時も一緒についてきてくれた人。

17.この頃の旅のフォーメーションとか、雰囲気とか。
まず中心が自分として、最側近は稚児。次いで普通の服装のお坊さんが少し、次いでたくさんの僧兵、次いで山伏系の人とか適当についてきた人がいっぱい、後半になるにつれてどんどん増えてってフォーメーション崩れて収集つかなくなったけど楽しければええやろ的な感じでやってた。自分は杖をついて歩いていた覚えがある。輿に乗っていたかもしれないけど、多分途中から下りてる。錫杖っていう奴だと思うんですけど、しゃらしゃらなる奴を鳴らして、他の人たちもそんな感じで高周波を響かせながら旅をする。
この時に誰かが持っていた、熊の毛皮を鞘みたいにぐるぐる巻きにした短刀がめっちゃかっこよくて、いいな~って思ってた。多分魔除け?にしていたんだと思う。山に入る人って魔除けに短刀を持っていきませんでしたか?毛皮巻きました?

18.熊野周辺(だと思う)
山伏&お坊さんパラダイス。もちろん稚児も居るよ。大きな滝の周辺はすごい賑わい、ディズニーランドちゃうかってくらいの賑わい。いろんな人種がいて、ここで出会って京都までついてきた人が沢山います。山伏の人たちは僧兵とまた雰囲気が違って、ちょっとスピリチュアル系?な感じでいつも気が張っている。
雰囲気を一発で例えるなら…

ダチョウ倶楽部の寺門ジモンさん

19.藤岡弘みたいな雰囲気の念力を使うお坊さん
多分「性空」という人です。どういう人かというと、人の心を一撃で読む人です。悲しんでた時に、人の心を読む術みたいのをめっちゃ教えてくれた人。平安の藤岡弘。
立場的に言えば平安のマスターヨーダ。 
今は消滅したようですし、ファンタジーですが昔はこんな感じの「第六感」を教える人が山にいっぱいいました。ありふれた感覚です。近いのは、ファンタジーになっちゃいますが…ジェダイの心を読む系のフォース、あるいはワンピースの心網。この人に教わりました。やり方を少し覚えています。

人間は想いを言葉にする前に、言葉にする以前の「気持ち」を外に発射するのでその気持ちを、研ぎ澄ませて受け取るように訓練できるよ。後ろに居ても言葉を発しなくても、相手が嘘をついていても考えてる事がある程度分かるよっていうものです。
自分は昔も今もですけど、第六感的な物はうっすらあってこういう事を覚えるのは早かった。
コントロールはできないけど未だに残ってます…この人のお陰だと思います。

これはその内科学的に解明されてほしい…

20.京都に帰る時
山で出会った大勢の人達を連れて帰りました。京都嫌いなのでなるべくなら帰りたくなかったんですけど、稚児が京都見たいとかお菓子的なやつを食べたいというので、まあいつかは帰るし、しょうがないかという気持ちで帰りました。でも自分は京都にトラウマを多く残しているので、京都に居る時はちょっと精神状態おかしくなります。山ではとても安定しています。



いっぱい書いて疲れました。まだまだ全部じゃないです、続き書くかも分からないのでとりあえずはこのへんで。ありがとうございました。
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平安時代にお坊さんをやっていた記憶があるという話について 見え方感じ方 歴史的な核心について

お騒がせしてすみません。平安時代のユル~い感じの質問コーナーをユル~く継続する予定だったんですが、人によって色んな受け取り方をすると思います。自分の言動で、他人を安易に惑わせたくないのと、極力誤解が無いようにしたいので一旦置いていくつかの説明を書かせてください。


記憶の見え方感じ方について
当時の言葉や文字についてはほぼ分かりません。
古文を勉強して知っていても、覚えているという事ではないので。覚えてますとは言えません。どうしようもないです。
地名人名についても初めから分かってる事は稀で、分かればわざわざ文献とか場所を探して照らし合わせる必要が無いです。
記憶として思い出せるのは、その時の感覚的な物(綺麗、怖い、楽しい、恥ずかしい)とか風景とか人の顔が主です、これは歴史資料あるなしに関わらず。。なんでこうなのかは、本当に分かりません。だから脳の病気かもしれないので半信半疑で聞いてほしいです。
全部ひっくるめて完璧に分かるっていうイメージで広がって行ってしまったんですけど…超人とかスーパー霊能者ではないです、頭の中の謎な部分をtwitterで吐きだして朝消す予定だったのがとんでもないバズり方をしてしまっただけの人です。


歴史的な核心について
やんわりじゃなくて核心に迫ってほしいと思いますよね…そうですよね。
歴史的な核心に関わる部分については、いくつかあります。主に自分の身辺についての事で、歴史的に分かってない部分?です。
研究できると思います。
言いたいんですが…心の整理が出来てません。ゆかりのある方々に迷惑かかるかもしれない、重い部分なのでストレスがやばいです。そしてあまりに急なのと、一応こんな形でも思い出なので。ちょっと落ち着いて考えさせてほしいです。本当に必要だと思ったら真面目に言います。暫く時間を下さい。ごめんなさい。

平安時代にお坊さんをやっていた記憶があるという話についてTwitterでの質問と回答



はじめに
私の上記ツイートに興味を持って質問してくれた皆様、ありがとうございます。
普段はTwitterという深海の底でオオグソクムシのように引き籠ってマイナーな創作物を作っています。夜中たまーに前世記憶について言う事があったのですが、気味悪がられるしあまり話したくないので一通りスルーされた後に消すのがいつもの流れでした。今回もと思ってましたが何だか物凄い伸び方になりまして、底引き網で海上に引き上げられたような気持ちです。

何でもかんでも全て覚えているという訳ではないです。全く分からない、もしくはうすらとしか分からない事も多いです。こうなったのも何かの縁だと思うので、慎重に、話せる限りお話してみたいと思います。
全然信じてくれなくで大丈夫です。信じなくても普通に人生楽しく生きていけるので、底引き網で水揚げされたオオグソクムシを蒸し焼きで食べていると思って見てもらえたら有難いです。

ご注意
・宗教には入ってません 変な思想にも染まっていません オカルトやスピリチュアル系団体との繋がりも全くありません 今後そうなる気もありません ただの変な人です
・趣味で主にアジアの宗教学、人文学を勉強しているので平安時代の知識は普通にあります。ただなるべく歴史資料に無い部分を話そうと思います。
・自殺をミスってからと書きましたが、それ以前から家系的に勘が強かったり自分自身にも第六感的な物はちょっとありました。なので安易に自殺を考えたら覚醒するとか思わないでください。 
・頂いた質問全てには回答できません、もし回答が無いと立腹された場合はTLで私に煽り画像を送りつけても大丈夫です。

質問と回答
無作為に目にとまったものを選ばせて頂きました。少ないのでパート2を作る予定です。今回はあの世の事とか生まれ変わりについてというより、平安時代の事について回答します。

具体的な名前や生年月日や宗派を教えてほしいという質問が多かったんですが、言いたいです。言いたいんですけど…言ったらその人物がgoogle検索で出てきてしまいます。今現在ゆかりのある人たちに迷惑がかかったら怖いので想像するか各々で調べてみてください。つっても時間の問題かもしれないですけど…腹くくった方が良いのかな…うーん…
あと本当に脳の病気なだけかもしれませんので。ユルい気持ちで見て下さい。
それでは



山門のギリギリんとこまでみんなフザけてて入った瞬間から急にシャンとするやーつ!

ガキ使の笑ってはいけないシリーズで敷地入った瞬間から笑っちゃダメみたいな感じで…そこでひと悶着あったりするじゃないですか。あんな感じです。山法師の人達大好きだったんですけど面白い人多くて笑いのセンスは神がかってます、野性爆弾くっきーとか千鳥大悟とかバッドナイス常田さんみたいな人がいっぱい居ると思ってください。お坊さんの旅は粛々としてありがたみが深い物だと思われがちですが、道中暇だし子供や若い人が多いので結構ふざけてわいわいしてました。どこの出かも分からない人と、途中で出会って一行に加わったりもします。水曜どうでしょうをもっと大人数でやるような感じですかね、楽しいです。


はい、似てます。見た目は、肖像画が数枚残ってます。今の顔とほぼ変わりません。昔の名前明かすと怖いので各々で調べてほしいですが…私のTLにある自撮り写真と比べてみると、似てますよ。ただ今の体の方がまつ毛長くてスネ毛が濃いですねw人差し指をピーンと立てる癖があるんですが、肖像画の自分もガッツリ人差し指立ってて、あ、やっぱ俺やんってなりました。
性格もほぼ一緒です、が今のほうが幾分真面目です。昔は結構ふざけたり思い付きで行動する事が多くて周りに迷惑かけてました。そういう所で失敗して恥ずかしい思いしたり後悔が多かったので今は物凄く慎重で、目立ちたくないです。
能力も好き嫌いも一緒です。昔は色んな楽器弾いて 歌を詠んで 馬乗って 仏道極めて 旅してました…今はボカロで音楽作って ラップ作詞して バイク乗って 人文学研究して 旅してます、性的嗜好も同じです。想像ですけど遺伝子的に似てたり同じような性質の体にしか生まれてこれないんじゃないかって思います。
自分の詠んだ歌も残ってますが今も昔も、雰囲気がほぼ一緒です。個人的に、和歌や漢詩と日本語HIPHOPって妙に共通点を感じてしまいます。最小限のメロディーで押韻に合わせて日本語を綺麗に組み立てて歌う…同じ感覚で作ってますね。。


山芋と、そばです。今も昔も好きですが、山芋は薄く切って焚火で焼く、そばはこねた奴をちぎって汁物で食べるのが平安田舎流です。「そばがき」って奴です。そば粉こねてちぎって鍋の具にでも入れてみてください、もちもちして超うまいです、なんで消滅したんですかね…何で細ーく切っちゃったんですかね。あと伊藤園のそば茶の味が異様に懐かしく感じます。


言葉についての質問をとても頂いてるんですがごめんなさい、全然思い出せません。文献も忘れて?いて全然読めません。分かりにくいのが言葉や地名・人名。逆に分かりやすいのが人の顔や景色などです。
強いて言うなら、公家はめっちゃひそひそ話します。声がデカい奴は駄目みたいな暗黙ルールがあって鼻声でささやくようにしゃべります。この喋り方をする人が現代にいたら超じれったいですね。ハッキリ喋れよ!ってなりますね。


当時の女性についての質問も多かったですね、オカメ顔のぽっちゃり系がモテるのは本当です、今みたいに痩せている人が良いなんて感覚は1ミリもありません。真逆です。芸能人はみんな痩せているので中々難しいですね…浅田真央さん、剛力彩芽さん、を、太らせた感じです。皇族の秋篠宮姉妹のような丸顔も美人です。
平安女子はお菓子いっぱい食べても太るのを気にしなくて良いので食べるのが好きな人が多い。食欲あっても隠さなくてOKです。そんな事する意味が無いです。
今の女子は細い体になろうとして自分から飢餓状態を作ってるなじゃいですか、逆に現代の方が物凄い違和感があります。昔の人が飢餓を無くして健康に生きられる世の中目指して頑張って、ようやくその時代になったのに細くなろうとしてるなんて…とても複雑な心境です。


植物ですけど…瓜ですね。今は全くないですけどいろんなタイプの瓜です。草ボーボーのかやぶき屋根の上にも瓜が生えてたり。


朝が印象的です、私はいつも遅く起きます。働き手は子供が多いので子供がどたばた走り回る音で目が覚めます、みんな凄い働き者で起きる頃には支度が整ってます。服まで着せてくれます。お礼に服や京菓子を送ると見た事無い位目を輝かせて喜びます。
たまに京都から偉い人が様子を見に来ます、山の上に寺があるんですけど、下りてこいって言うんですよ。凄く嫌な感じです。山の下にいっぱい居る尼さんたちと相談して、登らせようぜって事になってメタボなおっさんを登山させていじめてました。すみません。


これはあまり言うと間接的に私が誰か分かってしまうので怖いんです…安倍晴明に会った事ありますかっていう質問も来たんですが…

はい…。彼はみんなの憧れです、彼は下手に出る人ですがじわじわ煽ってくるタイプのおじさんです。心の中ではコイツ面倒くさって思われてましたねきっと。でも優しいですよ、クライアントにはとても手厚い人ですので最後まで見放しません。母親が狐だと言われていますが彼の母は知りません。普通のおじさんです。顔は…思ってるようなイケメンではないです、くしゃっとしたおじさんです。くしゃおじです。
藤原道長もあります。政治家としてやり手だったのは間違いないですけど、ただ和歌とかオシャレのセンス全然無いです、多分人に選んでもらってますね。ださいなーと思ってましたごめんなさい。体裁の為に嗜んでいるので創作したり、オシャレをするという概念が無いっぽいですね、芸術家の感性ゼロです。仕事マンです。彼の歌がどれだけ残ってるかは分かりませんが、多分うーん…って感じだと思います。あの時代はもっと情緒にあふれた凄い歌人がいっぱいいます。


おお!これはとっても深い思い出があります。僧になってから西日本の山岳部を旅していたんですが、多分今の岐阜県のあたりの小高い山から飛騨山脈か立山連峰らしき山を見た記憶有るんです。
とても遠くからでしたが大きな山が壁のように向こう側を塞いでいて…あの向こうは外国で、行ったら生きて帰れないと言われてました。山法師や修験者はいろんな所を旅するのでネットワークみたいなのがあって情報が結構入るんですが、自分の仲間でも山脈の向こうに行った人は居なくて向こう側は話す言葉も見た目も文化も違う外国だというイメージです。北海道や青森あたりは、今で言ったらモンゴル人くらい違う人達です。平安時代にはすでに日本国として管轄下におかれていたみたいな話もありますが、多分形だけです、外国です。ていうか東北全域が外国みたいな空気です、あの壁みたいな山の向こうに行ってみたいと思ってたんですが、行けずに死にました。そして今は東側に生まれて逆側から立山連峰を見ています。感慨深い…
生口というのは…すみません分かりません。


色はカラフルですね。今観光地は色あせた建物が多いですけど昔はガッツリ色入ってカラフルです。朱色が中心で、屋根の内側とかが極彩色です。色の感覚的には原色という概念がなくて、今よりいっぱい色がある感じです。呼び名すみません、全く分からないです。が、空を見て、これは青じゃないんだけどなぁ…なんか、青だけど違う、、別の青っ…てなる時があります


恋愛結婚です。当時、恋愛結婚は憧れですね。自分が声をかけなければ奥さんは他の人と政略結婚してたと思います。 見た目は悠木碧と多部未華子を足して二で割ってぽっちゃりさせた感じかな…良い家柄に生まれて、 家族や付き人に言われるがまま食事も服も行き先も自分では何も決められない人で、何聞いても「分からない」って答える人形みたいな人でした。こんな可哀想な人見た事無くて、精いっぱい愛しますから、世の中の色んな事を教えますから、どうか答えて下さいと、何度も手紙をやりとりして、嫁に来てもらいました。手紙は死ぬまでとっておいたものが有るはずなのでどこかに残ってるかもしれません。 結婚してすぐに亡くなりました。それで僧籍になりました。


これは凄く話したかった、陰陽師は居ました。今はオカルト扱いですが平安時代は全然違います。陰陽師のお家芸の占星術は星の動きを数学的、科学的に考察して法則を見つけて駆使しようとしたものです。科学的でもあり、オカルト的でもありますよね。概念としては同一でした。これが科学でこれがオカルトだとい線引きする概念が当時はほぼ在りません。みんな同様に研究し、駆使する機関です。それが陰陽師。


これも話したかった。まず昔は人と人との心の距離が近かったです。今みたいに心の距離が離れた寂しい付き合い方をするのは宮中くらいで、友達や家族はちょっと風邪ひいたくらいでも死んじゃいますし一つの季節が終わるごとに誰かしら亡くなってます。だから今より情の結びつきは強いですねほんとに。今の自分はコニュ症なので人とあまり関わらず一人旅とかしてますが、昔は大勢周りに人が居て、旅する時もみんなでわいわい楽しくやってました。自分の性格より、社会が変わったのが大きいですね。今はちょっと寂しい時代だと思います。
ただ創作分野では現代ととても似ています。というか本質的に一緒です。BLの薄い本的なやつなんか平安時代大量に出回っていたので今も残ってるんゃないですか?ジャンルもいっぱいありましたよ、お坊さんですら読んでますよ。今のエロ同人誌と一緒です。




衆道に関しての質問多かったですね、もちろんありました。戦国時代は武士の間で流行ったらしいですが、自分の時代は寺です。現代の感覚で考えてほしくないですけど、お坊さんが居るエリアは女人禁制が普通です。出家する人達は様々な境遇で貴族もいれば物心ついた時から坊主の人も居れば、どっかから逃げてきた人、捨て子もいます。雑多な人種が大勢います。
見た目はお坊さんでも皆結局人間ですので性欲を捨てて生きるなんて出来ないです…大きな寺には髪の毛の生えた妙齢の女の子っぽい男子がいっぱい居て、僧の手伝いをして過ごします。お坊さんとは主と従者のような、家族のような、恋人のような不思議な感覚で結ばれてます。
ステージ?演台があってそこで踊ってくれたりします。踊れる稚児は今でいうアイドルです。いろんなお偉い方からお声がかかります。
宝石の国やとうらぶのような世界観が近い…かな。
あと、現代でオネエと呼ばれる人たちなんですが、昔は神の使いだってくらい尊ばれてました。彼(彼女)達は多くのお坊さんの心を癒す存在です。差別なんてとんでもない、芸術的なセンスも抜群で年をとっても舞踊を教えたり、文化に大きく貢献したんです。
現代でネタキャラ扱いされているのがちょっと悲しいですね。


居ました。でも若い頃は金持ちばかりに囲まれてたので見た事ありませんでした、実際に見たのは僧籍になってからです。
暑かったので夏かな、下山して平地にさしかかったあたりで見ました。
家族かなって思うんですけど、汚れなのか病気なのか全身が茶色く変色していて服を着ていなかったです、妖怪みたいなものに取りつかれているから絶対に近寄ってはいけないと言われました。凄い心苦しくなってしまって、こんな人たちが居るのに今まで自分は何をやって来たんだろうってひたすら後悔しました…奥さんの次に強烈な記憶です。


その他、多かった質問へ回答します


・平安時代の衛生状態はどうだったのか

これは里と山岳部で全然違います、京都はハッキリいって汚いです。汚い恰好の人も汚い犬もめっちゃいます、大河ドラマの清盛で不潔な都が出てましたけどあれは近いです。綺麗な人と汚い人の差が激しい。湯船に浸かるような風呂は入ってないですね、ていうか水汚いし。調べたら蒸し風呂らしいですけ蒸し風呂に入ってる記憶はありません、入ってるけど忘れてるのかな…トイレ事情も覚えてません…
山岳部の人は逆にとても清潔です、まず水が綺麗なのでちゃんと水で体洗いますし温泉とかも入ります。変な臭いとかしません。猿ですら綺麗です。
 
 
・記憶に残っている実在の場所と、現代の景色との違い

まず熊野です。多分熊野…であってると思うんですが、昔の那智滝のあたりは山法師&修験者のベースキャンプ的な所です。現代は写真でしか見た事なくて分からないですけど各地から大勢集まってきていて、情報交換するんです、あっちには何が有って、こっちに行くとこうなってて、って感じで。OKgoogleみたいに、OK山伏、〇〇に行きたいんだけどどうすればいい?景色の良い修行場とか無い?って聞くんです、そこで気の合う人とパーティー組んでクエストに出発するのが山岳修行です。少年の踊りの子が来たり、アイドルのライブみたいな感じ?イベントもたまにあって楽しい場所です。

田舎の風景についてなんですが今と全然違います。とにかく子供ばっかりです。畑仕事するのも外でわいわいしてるのも半分以上子供です。とても賑やかで人口も多く朝になるといっぱい子供が沸いてきます。
今は閑散としていて、中高年のおじさん達しか畑仕事してませんよね、寂しくなります。現代の田舎をバイクでツーリングしてると寂しい気持ちでいっぱいになります。


まだまだいっぱい質問も話せることもありますが、大変なのでここまでで… また書きますね、お読みいただきありがとうございました。

ニコニコ動画の迷走を短歌にして風流を見出してみました

動画にそのままコメントを流すという先端的発想、一般人からプロのクリエイターまで隔たりの無い多様性に富んだ表現空間の提供、かつてネット文化のメッカとして栄華を極めたニコニコ動画。
私自身の青春時代もニコニコ動画と共にあったと言っても過言でなく、今日のボカロPとしての活動があるのもそのお陰なんだと思っています。

現在も十分に存在感はありますが、時代と共に低負荷視聴や動画の収益化を実現させたyoutube等が人気となり、会員制にも関わらず重く低画質な視聴環境やプレミアム会員の価格に見合わぬ恩恵、ユーザー離れを起こす要素が目立ち、先のサービス発表会を皮切りに多方面から

「ニコニコ動画はもう終わりだ」



という声がささやかれています。しかし私は思うのです。

世の中は全て、諸行無常。

ニコニコ動画もまた、諸行無常なのです。



様々なコンテンツは絶えず止まることなく時代と共に流れていく。
ネットコンテンツという名の移ろいゆく四季を、私はただ眺めているだけに過ぎないのだと。そして私は思い至りました。

これは風流なのだと。




全く意味が分からないでしょう?

一人で酒を飲んだ勢いで思いついたのだから意味なんてあるはずがございません。頭を空にして下さい。
一人で酒を飲んだ勢いで作った私のニコニコ短歌をご紹介しますので、皆さまぜひ、迷走するニコニコ動画に日本古来の美観によって表現された風流を感じみてください。それではいきますね!

(訳:ふるさとの景色の変わっていく四季の装いは、今のニコニコ動画のように揺れ動いている)

少しずつ変わりながら、ゆらゆらと揺れ動いていく今のニコニコ動画は、遠い故郷の四季の移ろいが思い出されて、諸行無常を感じる。
季節の変わり目とは、毎日毎日少しずつ変わっていく、少し暖かい日があったり寒い日があったり。
ニコニコ動画も同じ、それは繁栄でも衰退でも無く途方もない自然の流れの一時。そんな歌でございます。
 
 

(訳:春の川に散って流れていく花びらは、今のニコニコ動画のように哀愁がある)

幾重の花が咲き乱れる春に、人知れず散った花弁が川に落ちてどこかに流れていく。
その景色に、様々な動画コンテンツが栄える今日、散った花弁のようにユーザーがどこかに流れていく今のニコニコ動画の情景が重なる。
儚く悲しくも、趣深く美しい。そんな歌でございます。
 
 

(訳:意味も無く作り続ける私のボカロ曲を、迎え入れてくれる心の優しいニコニコ動画)

どこにも相手にされなくて何の意味も無いと思っていた創作も、ニコニコ動画はいつまでも温かく迎え入れてくれるとても優しい場所。
時代が変わっても良き友はずっと友であるように、良き家族はずっと家族であるように、変わらない普遍的な物もある。
ありがとうの思いがこもった歌でございます。
 
 

(訳:過ぎ去った日のニコニコ動画の思い出は、那智の山桜のように照り映えている)

日本に古来から自然群生する山桜。その木の形や咲き方や咲く場所はとても多様性に富んでいて自由なものです。その景色に多くの先人はただならぬ感動を覚えた事でしょう。
過ぎ去ってしまった青春時代を彩ったニコニコ動画の思い出たち。それは熊野那智の山桜のように多様に、自由に咲き乱れ、心の中で美しく輝いている。
そんな現代のノスタルジーと日本の原風景が融合した歌でございます。
 
 
いかがでしたでしょうか、ニコニコ動画の迷走を短歌にして風流を見出すという意味の全く分からない試みは。
私はニコニコ動画が大好きです。これからもニコニコ動画を中心に創作活動を続けていきたいと思っています。風流の世界を感じる事で、揺れる皆さまの心に少しだけ安寧をもたらす事ができたなら、うれしみでございます。
以上!!

【揺歌サユ】博文約禮【オリジナル】歌詞と楽曲解説



〇ニコニコ版はことぅら
 
博文約禮 廻り続ける疑問のリフレーン
答え求め 学び続ける事で世界は見える
博文約禮 廻り続ける疑問のリフレーン
答え求め 学び続ける事で世界は見える
 
あの時 あの場所で 覚えた胸の痛み
あの時 あの場所で こみ上げて来た涙の意味を
君も知りたいでしょう?
 
悩みしがらみ 答えの出ない問いが積み重なり
奥に秘めてるばかりで 憂鬱になっていくEvery Day 
学校では教えてくれない 父さんも母さんも気付かない
受験に向けての勉学でも消えない頭上の?マーク
 
どこからきたの今の私 どこへ向かうの不安ばかり
募る増える思いの遥かに 道は見えるほんの僅かに
Anytime出てくる疑問詞 見たい知りたいA to Z
そこから生まれる探求心 さながら気分は遣唐使
 
博文約禮 廻り続ける疑問のリフレーン
答え求め 学び続ける事で世界は見える
博文約禮 廻り続ける疑問のリフレーン
答え求め 学び続ける事で世界は見える
 
あの時 あの場所で 覚えた胸の痛み
あの時 あの場所で こみ上げて来た涙の意味を
君も知りたいでしょう?
 
孔子曰く 孟子曰く 私曰く 君曰く
兎角考え方は多種多様 一つだけじゃ無いんだよ
果てなく周り見渡して 隔てなく知識取り入れて
自分らしく模索正しく考察して 有象無象解き明かそう
 
大切なのは仁と礼 今風なら愛と思いやりだね
それがあるならAll OK 曲がった事はしないよね
じゃあこのあたりでちょっと休憩 落ち着ける喫茶店に入店
ホットコーヒーオンザココナッツで息抜きするのも大切
 
博文約禮 廻り続ける疑問のリフレーン
答え求め 学び続ける事で世界は見える
博文約禮 廻り続ける疑問のリフレーン
答え求め 学び続ける事で世界は見える
 
あの時 あの場所で 覚えた胸の痛み
あの時、あの場所で こみ上げて来た涙の意味を
君も知りたいでしょう?
 
博文約禮 廻り続ける疑問のリフレーン
答え求め 学び続ける事で世界は見える
博文約禮 廻り続ける疑問のリフレーン
答え求め 学び続ける事で世界は見える
 
〇解説
孔子の学問がテーマの中華風UTAUラップという、無さそうで無かった曲が出来ました。いやまあ、無いですね。初めてですね。

揺歌サユオリジナル曲の投稿は約2年ぶりのようです。サユの声はとてもラップ向きで作りやすく、特にルの発音に独特のなまりがあって語尾に持ってくるととても良いフロウになります。
ただミックスの時に気付けばよかったんですがもうちょっとメインボーカルを強調したほうがその辺も聴き取りやすくて良かったかなと思います。
若干楽器に埋もれがちな感じになっちゃったので…
追記:↑はYouTube版で修正しました

中国の楽器を入れたいと思い二胡か笛子かで最後まで迷いました。今回は二胡でしたがいずれ笛子でも何かやってみたいです。
打ち込みでなくても… 持ってますので。吹けますので。



一応学問がテーマの曲ですが難しい意味ある訳ではなく、本当にはじまりのはじまりというか…色んな事を知りたい、学びたい、考えたい、役立てたい、みたいな単純な気持ちを表したものです。

『博文約禮』というのは孔子の言葉が起源の四字熟語ですがこれも単純です。

「孔子が言いました。幅広く学んで教養を豊かにしよう、それを真心に基づいて実行するなら、道にそむくことはないでしょう」

こんだけです。単純ですね。そして最高です!

新潟駅の地下街が巨大な書店になっていて、最近そこに通い詰めて世界中の歴史書とか人文学書をアホみたいに読んだり買ったりしてるんですが…学べば学ぶほど知識欲が溢れてきまして、そんな時に浮かんだ曲です。



こんな感じの場所です、とにかくものっすごい規模なので全景を映すのは不可能です。ずーーっと向こうまで続いてますがこの3倍くらいの規模+1Fあります。「知りたい」と思えばあらゆる事が知れる場所です。

更に書店に併設された穴場的な喫茶店がありまして、そこでコーヒー飲みながら買った本を読めます、歌詞にあるホットコーヒーオンザココナッツってのはここのメニューです。正式にはココナッツカプチーノですが。



ここからは話が逸れるかもしれませんが…

僕は学生時代は色々あって勉強放棄して、高校は退学して一年ニートしてました。世の中の事も、勉学も大嫌いだと。糞だと。ずっと思ってました。

でも経験をしていく内に気付きました。
周りと合わないのが嫌なだけで世の中が嫌いなのではなく、形骸化された事を無理やりさせられるのが嫌なだけで勉学が嫌いなのではなかった。
本当は他の誰よりも世の中の事が好きで、いろんな事が知りたくて、とても勉強したかったんだ…と思いました。
その結果学歴が無いのになぜか学識があるという謎の人物になりましたが。

だから、勉強嫌だなーとか、辛いなーと思ってやってたり、親や学校に強制されている人を見ると胸が痛くなるんですよね。締め付けられるというか…

昔の人たちが言っていた勉学って、そいうい苦しい物じゃないのになって…。

そんな自分の気持ちも併せて、乗っけてみたつもりです。

学ぶって 良いよね!って感じで。